1999-06-01 第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第13号
アメリカに交渉に宮澤さんが行かれる前にアメリカのスタンズ商務長官から、佐藤総理が御存じの一枚の紙があるから出発前によく読んできてほしいという連絡が来たんです。それで宮澤さんは単独でと本の中には書いてあります。単独で佐藤首相に会って尋ねたそうです。首相は真っすぐ私の目を見てそんなものはないというふうに言われたと。
アメリカに交渉に宮澤さんが行かれる前にアメリカのスタンズ商務長官から、佐藤総理が御存じの一枚の紙があるから出発前によく読んできてほしいという連絡が来たんです。それで宮澤さんは単独でと本の中には書いてあります。単独で佐藤首相に会って尋ねたそうです。首相は真っすぐ私の目を見てそんなものはないというふうに言われたと。
○上田耕一郎君 宮津さんは昭和四十五年六月のスタンズ商務長官との会談について触れられました。当時日本繊維産業連盟会長の谷口豊三郎、この人が、「エコノミスト」の「戦後産業史への証言」、これは七七年三月八日付ですが、この中でこう述べております。宮澤さんスタンズさんとやり合ったときに、「スタンズは「そんなバカな、何いっとるんだ」というような気持ですよ。
○正森委員 それでは、次の質問に移りたいと思いますが、記録によりますと、昭和四十七年一月のサンクレメンテの会談で、田中通産相がコナリー財務長官やスタンズ商務長官と会って、日米貿易問題を一年間凍結しようということを言われたということが広く報道されております。
それからまた、運輸省の関係では、大臣の個別折衝のときにおきましても、運輸長官からスタンズ商務長官に強く要請してもらいたいということを申しまして、ボルピー運輸長官もそのことを了承いたしまして、自分から申すと、こういうことになっております。
それから六九年の五月にはスタンズ商務長官の来訪があったわけですね。それから今度、そのスタンズさんが来たものだから、五月九日に、ストップをかける意味で衆議院の本会議の決議があったということでございますが、その後ずうっと続きまして政府間交渉が行なわれておったのです。それで、まだやるのかというので、七〇年の三月に衆議院の商工委員会でもってまた決議が行なわれております。
これはスタンズ商務長官にも述べましたし、コナリー氏にも述べたし、いろいろな方に述べております。対敵というだけで、その内容いかんにかかわらずアメリカに対してプラスではない、こういうことは述べております。 農業法二百四条については、先ほども述べたとおり、一体化繊は農業製品なのかということで問題がある。いろいろな問題がございます。 最終的に彼らが考えたのは、緊急銀行法でございます。
そして一番その中で大口である日本との間にどうしても政府間交渉を行なわなければならないということで、スタンズ商務長官が参りましたり、また大平・スタンズ会談、宮澤・愛知・スタンズ・ロジャース会談等々、何回も何回もやられた結果、最後にはワシントンにおきまして佐藤・ニクソン会談において政府間協定を始めましょうという正式な合意が行なわれております。
でありますから、そのときにはスタンズ商務長官であり、ピーターソン氏が同席をしておったということでございます。その後アメリカでは外交ルートを遮断して、繊維に関しては一切ケネディ大統領特使とジューリック顧問をしてこの折衝の衝に当たらしめるという公式な報告がございますので、ジューリック氏もしくはケネディ氏ということが当面考えられます。
それから六九年の五月、スタンズ商務長官が来日をいたしまして、繊維の輸出規制を日本に要請した。それからずっと日米間に、調査団が行ったり来たり、いろんなことをやっております。それで七〇年六月、ワシントンで閣僚レベルの、宮澤・愛知——スタンズ・ロジャーズ会談をやったわけですが、合意に達せず。これから今度やってまいりまして七〇年の十月には、佐藤・ニクソン会談で繊維の政府間交渉の再開に合意をした。
牛場大使とスタンズ商務長官が——ミルズ提案に従って、わが国の業界が繊維の自主規制を涙をのんでやったわけですが、その後の交渉経過は、もう行き詰まってどうにもならないのか。あるいは何かひとつここで一歩開いて、わざわざああして、わが国の繊維の業者が集まって宣言をした、それに対するところのどんな反響があるのか。
すなわちスタンズ商務長官一行が来まして、わが国に対して繊維自主規制について二国間の交渉をと、こういうことでありました。もっとも正式に具体的にアメリカ側から交渉のあったのは昨年の十月、アメリカ政府から吉野公使に申し出があった、こういう経過でございまして、ことしの六月に一たん決裂しまして、そうしてまた今日の新聞の報道で伝えられておるような状態になっておるのであります。
○国務大臣(宮澤喜一君) この問題につきましては、去る六月に私と米国のスタンズ商務長官とが会談をいたしまして妥結をはかろうとしたわけでございましたが、両者の意見が合いませんで、妥結を見るに至りませんでした。できるだけ早い機会に妥結をはかろうといったようなことで話は終了したわけでございます。
今年の六月に、私とアメリカのスタンズ商務長官との本件についての話し合いが不首尾に終わったわけでございますが、その後、日米間の経済関係には幾つかの問題が生じてまいっております。
○宮澤国務大臣 六月に私とスタンズ商務長官との話が不首尾に終わりまして、この問題は純粋の経済問題に返ったわけでございましたが、その後再び新しい二つのできごと、一つは、ただいま御指摘のような、繊維以外の分野における日米経済通商関係に起こった一連のできごと、もう一つは新通商法案がいまやきわめて成立の可能性が強まりつつある、この二つのできごとによって、再び本件は政治的な色彩を帯びるに至ったわけでございます
○宮澤国務大臣 この六月にスタンズ商務長官との会談に臨みます際、及び会談の結果につきましては、あらかじめ閣議で話もいたしました。したがって今回も、必要な段階になれば閣議に報告をいたすこともあろうかと思っております。
前回スタンズ商務長官と私との会談が不調に終わりましたことは、両国にとりまして決してしあわせな結果にはなっておりませんので、かりに非公式ではありましても、政府間交渉か何かの形で始まるということにはよほど慎重でなければならないわけでございます。そのような意味で、ただいま御指摘のような指示をいたしたことはございません。
第一点は、あなたが六月にアメリカに使いせられて、スタンズ商務長官との間に例の日米繊維交渉を遂げられて、不幸決裂になったことは、二十四日の共同声明によって明らかになっております。
スタンズ商務長官は、みずからが当事者のごとき高姿勢終始一貫変わりなし、こういうような印象を受けたというようなことが伝わっておるのでございまするが、アメリカのこの姿勢というものは、それほど動かない強いものであるということに根ざしておるものであろうか。
しかもスタンズ商務長官がたしか十一日かに来られるので、その前日にやろうというわけで、われわれもほんとうに真剣に考えてこの委員会としては取り組んだわけですね。そして国会決議ということになったのですが、政府はこれを尊重しなければならぬという考え方は持っているのですね。
それから繊維の問題につきましては、御承知のように私も昨年の五月の初めにスタンズ商務長官を迎えて実は大激論をいたしました。今日まで私の考えは変わっておらないつもりでございます。御激励をいただきましてたいへん恐縮に存じますけれども、日本の国益というものを中心にいたしまして十分善処したいと考えております。
昨年の五月初めにスタンズ商務長官が来て、最初に私外務省に迎えまして、そこで相当の激論をやりました。それ以来私の本件についての意見というものは変わっておりません。同時にこれは直接にはいわば私の守備範囲ではございません。
そこで昨年の五月にスタンズ商務長官が日本にやってきて、ここで相当大きな問題が出てきたわけですね。そうして十一月に佐藤・ニクソン会談が御存じのとおりのことになって、外務大臣もずいぶん御苦労になったわけです。そこで十二月に米国の側から、毛あるいは化合繊維の輸入規制の第一次案が出てきたという経緯ですね。そうして本年一月になって第二次案が出てきた、こういうようなこと。
この点、スタンズ商務長官が昨年、来日された際をはじめ、しばしば米側が表明した本規制は輸出の減少をもとめるものではないとの言明に反するものである。」続いて「本提案が五年という長期かつ固定的な期間を提案していることは、この種の輸出規制は米国自身がガット十九条による措置をとりうるまでの過渡的かつ便宜的な措置でなければならないとの日本側の主張に反する。」この辺はどうです。
○鶴見政府委員 この繊維問題、毛及び化合繊の問題でございますが、これにつきましては、日本にだけ特に要請したわけではございませんで、先生御存じのとおり、スタンズ商務長官は昨年四月にヨーロッパ諸国へ行きまして同じようなことを言っております。
○吉田(賢)委員 外務省の出先機関もしくはアメリカからスタンズ商務長官なども参りましてのだんだん話し合いがあった経緯もあり、したがいまして、アメリカのそのような具体的申し出がありまするのは、外務省的な見解、調査等によれば、大体何が理由なのです。
○鶴見政府委員 この繊維問題の件につきましては、先生もう御存じのとおり、昨年の五月にスタンズ商務長官を長とする向こうの使節団と申しますか、団がやってまいりまして、そこで、日本側と外務大臣あるいは通産大臣等々との話がございました。それが日米接触の皮切りでございます。その後、七月に日米の間で第七回の閣僚会議が東京でございました。その際、またあわせて先方から強い要請がございました。