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44件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1999-06-01 第145回国会 参議院 外交・防衛委員会 第13号

アメリカ交渉宮澤さんが行かれる前にアメリカスタンズ商務長官から、佐藤総理御存じの一枚の紙があるから出発前によく読んできてほしいという連絡が来たんです。それで宮澤さんは単独でと本の中には書いてあります。単独佐藤首相に会って尋ねたそうです。首相は真っすぐ私の目を見てそんなものはないというふうに言われたと。

立木洋

1978-03-15 第84回国会 参議院 予算委員会 第11号

上田耕一郎君 宮津さんは昭和四十五年六月のスタンズ商務長官との会談について触れられました。当時日本繊維産業連盟会長谷口豊三郎、この人が、「エコノミスト」の「戦後産業史への証言」、これは七七年三月八日付ですが、この中でこう述べております。宮澤さんスタンズさんとやり合ったときに、「スタンズは「そんなバカな、何いっとるんだ」というような気持ですよ。

上田耕一郎

1971-10-25 第67回国会 衆議院 予算委員会 第2号

それから六九年の五月にはスタンズ商務長官の来訪があったわけですね。それから今度、そのスタンズさんが来たものだから、五月九日に、ストップをかける意味衆議院の本会議決議があったということでございますが、その後ずうっと続きまして政府間交渉が行なわれておったのです。それで、まだやるのかというので、七〇年の三月に衆議院商工委員会でもってまた決議が行なわれております。

田中角榮

1971-10-25 第67回国会 衆議院 予算委員会 第2号

これはスタンズ商務長官にも述べましたし、コナリー氏にも述べたし、いろいろな方に述べております。対敵というだけで、その内容いかんにかかわらずアメリカに対してプラスではない、こういうことは述べております。  農業法二百四条については、先ほども述べたとおり、一体化繊は農業製品なのかということで問題がある。いろいろな問題がございます。  最終的に彼らが考えたのは、緊急銀行法でございます。

田中角榮

1971-10-19 第67回国会 衆議院 議院運営委員会 第3号

そして一番その中で大口である日本との間にどうしても政府間交渉を行なわなければならないということで、スタンズ商務長官が参りましたり、また大平・スタンズ会談宮澤愛知スタンズ・ロジャース会談等々、何回も何回もやられた結果、最後にはワシントンにおきまして佐藤ニクソン会談において政府間協定を始めましょうという正式な合意が行なわれております。

田中角榮

1971-10-09 第66回国会 衆議院 商工委員会 第4号

でありますから、そのときにはスタンズ商務長官であり、ピーターソン氏が同席をしておったということでございます。その後アメリカでは外交ルートを遮断して、繊維に関しては一切ケネディ大統領特使ジューリック顧問をしてこの折衝の衝に当たらしめるという公式な報告がございますので、ジューリック氏もしくはケネディ氏ということが当面考えられます。

田中角榮

1971-10-08 第66回国会 参議院 商工委員会 閉会後第1号

それから六九年の五月、スタンズ商務長官が来日をいたしまして、繊維輸出規制日本に要請した。それからずっと日米間に、調査団が行ったり来たり、いろんなことをやっております。それで七〇年六月、ワシントン閣僚レベルの、宮澤愛知——スタンズ・ロジャーズ会談をやったわけですが、合意に達せず。これから今度やってまいりまして七〇年の十月には、佐藤ニクソン会談繊維政府間交渉の再開に合意をした。

田中角榮

1971-03-17 第65回国会 衆議院 商工委員会 第12号

牛場大使スタンズ商務長官——ミルズ提案に従って、わが国の業界が繊維自主規制を涙をのんでやったわけですが、その後の交渉経過は、もう行き詰まってどうにもならないのか。あるいは何かひとつここで一歩開いて、わざわざああして、わが国繊維の業者が集まって宣言をした、それに対するところのどんな反響があるのか。

岡本富夫

1970-12-17 第64回国会 衆議院 外務委員会 第2号

すなわちスタンズ商務長官一行が来まして、わが国に対して繊維自主規制について二国間の交渉をと、こういうことでありました。もっとも正式に具体的にアメリカ側から交渉のあったのは昨年の十月、アメリカ政府から吉野公使申し出があった、こういう経過でございまして、ことしの六月に一たん決裂しまして、そうしてまた今日の新聞の報道で伝えられておるような状態になっておるのであります。

堂森芳夫

1970-12-03 第64回国会 参議院 商工委員会 第2号

国務大臣宮澤喜一君) この問題につきましては、去る六月に私と米国スタンズ商務長官とが会談をいたしまして妥結をはかろうとしたわけでございましたが、両者の意見が合いませんで、妥結を見るに至りませんでした。できるだけ早い機会に妥結をはかろうといったようなことで話は終了したわけでございます。

宮澤喜一

1970-11-20 第63回国会 衆議院 商工委員会 第39号

宮澤国務大臣 六月に私とスタンズ商務長官との話が不首尾に終わりまして、この問題は純粋の経済問題に返ったわけでございましたが、その後再び新しい二つのできごと一つは、ただいま御指摘のような、繊維以外の分野における日米経済通商関係に起こった一連のできごと、もう一つは新通商法案がいまやきわめて成立の可能性が強まりつつある、この二つのできごとによって、再び本件は政治的な色彩を帯びるに至ったわけでございます

宮澤喜一

1970-10-13 第63回国会 衆議院 商工委員会 第36号

前回スタンズ商務長官と私との会談が不調に終わりましたことは、両国にとりまして決してしあわせな結果にはなっておりませんので、かりに非公式ではありましても、政府間交渉か何かの形で始まるということにはよほど慎重でなければならないわけでございます。そのような意味で、ただいま御指摘のような指示をいたしたことはございません。

宮澤喜一

1970-06-10 第63回国会 衆議院 外務委員会 第17号

それから繊維の問題につきましては、御承知のように私も昨年の五月の初めにスタンズ商務長官を迎えて実は大激論をいたしました。今日まで私の考えは変わっておらないつもりでございます。御激励をいただきましてたいへん恐縮に存じますけれども、日本の国益というものを中心にいたしまして十分善処したいと考えております。

愛知揆一

1970-04-09 第63回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

そこで昨年の五月にスタンズ商務長官日本にやってきて、ここで相当大きな問題が出てきたわけですね。そうして十一月に佐藤ニクソン会談御存じのとおりのことになって、外務大臣もずいぶん御苦労になったわけです。そこで十二月に米国の側から、毛あるいは化合繊維輸入規制の第一次案が出てきたという経緯ですね。そうして本年一月になって第二次案が出てきた、こういうようなこと。

大出俊

1970-03-17 第63回国会 参議院 商工委員会 第5号

この点、スタンズ商務長官が昨年、来日された際をはじめ、しばしば米側が表明した本規制輸出の減少をもとめるものではないとの言明に反するものである。」続いて「本提案が五年という長期かつ固定的な期間を提案していることは、この種の輸出規制米国自身がガット十九条による措置をとりうるまでの過渡的かつ便宜的な措置でなければならないとの日本側の主張に反する。」この辺はどうです。

大矢正

1970-03-10 第63回国会 衆議院 決算委員会 第7号

鶴見政府委員 この繊維問題の件につきましては、先生もう御存じのとおり、昨年の五月にスタンズ商務長官を長とする向こうの使節団と申しますか、団がやってまいりまして、そこで、日本側外務大臣あるいは通産大臣等々との話がございました。それが日米接触の皮切りでございます。その後、七月に日米の間で第七回の閣僚会議が東京でございました。その際、またあわせて先方から強い要請がございました。

鶴見清彦